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~本当に開国したのは誰か?~


by toudaikaikoku

まえがき

 
少しの間だけ、目を閉じて思い浮かべてみてください。
あなたが今までの人生で出会ってきた人たちのことを。


今まで出会った多くの人の中で、『特にあなたが
大きく影響を受けた人』を思い出してみてください。

その人たちを思い出すとき、
いろいろな思い出が頭に浮かんでくるかもしれません。

良い思い出・感動する思い出・楽しい思い出。

もしかしたら・・・・
悲しい思い出・苦しい思い出・思い出したくない思い出も
あるかもしれません。

『特に大きく影響を受けた人』。

その、誰か“たった一人”が欠けたとしても、
“今、ここにいる、あなた”は、
もしかしたら・・・
存在しえないのかもしれません。




一方では暗黙知として扱われ、
一方ではテクニック化している人との関わり方。

これからお送りする内容は、
東大で5年間にわたって行われた短期講座の中で、
“人と人との出会い”、“そこで起こった出来事”が
呼び覚ましていった「気づき」をまとめたものです。

日本最高学府といわれる“東大”。
思い通りにいかない世界の中で、東大生、講座に関わった多くの
社会人は何を見たのでしょうか。
# by toudaikaikoku | 2007-02-04 21:09
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柴田英寿さんインタビュー

2002年から東大先端研で始まった
アントレプレナーシップ論
2006年まで約200人が巣立っていった。
出会いが出会いを呼び
気付きを呼び覚ましていった。
何かを得た人もいる。
傷ついた人もいる。

だけどそこには「かけがえのない何か」が
確かにあった。

そんな講座を5年間主催してきた
柴田英寿さんにお話を聞きました。



■大学時代

柴田さんは普段、日立製作所でシステムエンジニアとして働いている。大学時代は演劇に没頭し、二年留年した。「大学なんてさ、適当にやっていれば卒業できると思っていたんだよね。気づいたら単位が足りなかった。」自信は人一倍あるのに実力の伴わない若い頃の織田信長のようだったと過去の自分を評して言う。「システムエンジニアという職業は常に、何か起こったらどうしたらよいかを考えるのが仕事のようなものだから仕事を通して随分周到に変わってきたよね。」

大学時代、ドストエフスキーに代表されるロシア文学、フランス文学などを熱心に読んだ。そのうち、「翻訳を読むのはおかしいのでは。」と考え、やがて三島由紀夫など日本文学を読むようになった。「若いころの僕はかなり暗かったよ。暗いといっても僕の尺度なので、たいしたことないんだけど。」そのまま社会にでた。会社に入ってからも、目一杯肩に力が入っていたという。


■転機~アメリカ留学で得たこと~

転機は29歳の時。社費留学でアメリカのビジネススクールに入学した。アジア人を蔑視する人々に抵抗するなかで「みんな仲良くしようよ。陰口はやめようよ。偏見を持つのはよそうよ。」と訴えた。周囲の人たちに「お前の言っていることはかっこいい。」と褒められた。「僕の価値観は世界に通用するんだ。」大いに自信を持った。今までとは一転。人生が明るい方向に向かい始める。


■講座の成り立ち

アメリカから帰国後、毎週水曜日の朝に喫茶店を利用して勉強会を始めた。知的財産に関連したビジネスを起こそうと友人と二人でビジネスlPRという団体を立ち上げた。次第にマスメディアに登場する機会が増えた。そんな折、東大で教えてみないかという話が持ち込まれた。
「人に教えるってカッコ良さそうじゃん。すぐ引き受けたよ。」
こうして2002年、理系の東大大学院生を対象にビジネスを教えるアントレプレナーシップ論の原形にあたる講座が始まった。

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「最初はさ、講座を受け終わったらすぐにベンチャー企業を立ち上げられるっていうくらい専門的な講座だった。だけど現実をよくわかっていなかった。実際に授業を受けにくる学生にベンチャーを起こしたいと思っている人はほとんどいなくて、多くの受講生が、自分が生きていくことに不安を抱えていたり自信がなかったりした。まずはそこにとりくんであげたいと思った。彼らもゆくゆくは何かやろうとするだろう。これから育っていく人とゆっくり付き合っていこうってね。」

こうした考えの変化に対応するように講座も年々変化していった。

初年度の講座には社会人経験者がいた。ビジネス経験のない学生に比べ圧倒的に経験値があった。次年度からは社会人ティーチングアシスタントを講座に誘い、講座運営を手伝ってもらった。

好評だったのでさらに翌年からは5~6人からなるチームに対し、社会人ティーチングアシスタント3人ほどについてもらうようになった。2004年に固まったこの形態はその後現在まで3年間変わらない。

「最初は、受講生もほったらかしの状態だったよ。飲み会をやったほうが盛り上がるとかメーリングリストを使ったほうが効率的とかおもいつかなかった。段々ノウハウがたまってきたよね。」

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■ティーチングアシスタント

「ティーチングアシスタントの役割も不明確だったよ。よく、人に教えるのが好きという人が講座に参加したいと言ってくるんだけど断っている。教えたい人はティーチングアシスタントに合わないんだよ。僕が考えるティーチングアシスタントに向いている人は、『学生に会わせたいな』という人です。これじゃ分かりにくいからもうちょっと具体的に言うと、自分に、時間に、人生に、知識に、お金に、ちょっとだけゆとりがある人だと思いますね。ゆとりがあるから学生の話を聞き役に回れる。それだけでなく、ゆとりがあるからちょっとずつ学生に配慮をしてあげることができます。僕は学生に自分で育ってほしいから彼らとゆっくり付き合ってくれる人を探しています。」

だからこそティーチングアシスタントを探す際は細心の注意を払う。基本的には知っている人。講座が始まる半年以上前から柴田さんが一人一人丁寧にお願いし、最終的には二十人近い社会人に、ティーチングアシスタントとして講座に参加してもらう。

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■ビジネスプランを作る意味

講座では、3ヶ月を通して各チームに一つのビジネスプランを作ってもらう。「今は学生さんのニーズに応えてコミュニケーション能力やプレゼンテーション能力向上に講座の重点が変わってきているよね。ビジネスプランなんて、型はどうでもいいようなものなんだけど、ずっと一緒にやっているチームでも、考えていることをひとつの型にまとめようと思うと、とても難しいということがわかる。それがビジネスプランを作って行くということかな。」

ビジネスに関する知識がほとんどない状態の理系の大学院生に約十回の講義で財務諸表、マーケティング、リスク分析などの初歩的な知識を教えていく。毎回の講義には課題も出される。理系の大学院生は決して暇ではない。初対面のチームメンバーと慣れないミーティングをこなし、次週までに課題を仕上げなければならない。

「僕たちにも言えることだけど学生さんって、自分の言っていることは100パーセント相手に通じていると思っている人が多いんだよ。でも実際はそうじゃない。人は相手のことを自分の思うように聞いていることが大概で、相手に伝えることは本当に難しいことなんだよ。ほとんど伝わっていない。ビジネスプラン作りを通して、そういうことも学んでもらえたらいいなとは思っていますね。」

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■信念を曲げないこと

柴田さんに、大切にしている価値観を聞いてみた。「信念をまげないことかな。」サラリーマンをやりながら毎年1冊のペースで書籍を執筆し、外部団体の代表を二つ務め、かつ大学院で教鞭までとる柴田さんの信念とは一体どんなものなのだろう。

「みんな仲良くしようよ、ウソをつかない、自分より若い人の面倒をみよう、かな。」予想に反してシンプルな回答が返ってきた。「アントレプレナーシップ論」という講座は柴田さんの信念が形として具現化したものなのかもしれない。


■講座を通して得たもの

講座を通して柴田さん自身得たものは多いという。「自分にも出来ないことはあると分かったね。昨年の講座は病気になる学生さんが多くて、全員のケアしてあげられなかったな。それから僕は今まで人と三十秒も話したら見抜けると思っていた。だけど初対面の印象とは裏腹にすごく良い人もいたし、信用していたのに見損なっていた人もいる。あと、僕は学生やティーチングアシスタントを客観的に見ることのできる立場にいたから彼らのコミュニケーションを見ていて、こうしたらこうなるんだと学んだこともたくさんあるよ。いろんな人がいていろんなものの見方があるんだって改めて学んだね。」

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■うれしかった瞬間

様々な気付きを得た講座の中でも一番うれしいと感じた瞬間は「花束をもらった瞬間かな。」講座では三か月の集大成として各チーム一つずつビジネスプランを作り発表する機会がある。その後、打ち上げの席で大きな花束が柴田さんに贈られた。まったく予想もしていないことだったという。

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「僕はいつも、前面に立ちつつ事務局も兼ねてやっているので、花をもらうなんてほんとにないんです。だから、まったく、もらえると思っていなかったので、驚き含めて、うれしかったな。考えてみれば、僕が一番、労力、知力、愛情を注いでいるわけですから、みんなにお礼をもらってもいいわけですね。みんなもそう思ってくれていたんだと思って、なお、一層うれしかったです。達成感がある年だったしね。よく出来たと思います。改善すべきところは一杯あるんですが、あんなすごいことは、僕はやり遂げたことないです。それくらいすごかった。」


何かしてあげたいと思ってずっとやってきた。しかし、何かしてあげたいと思えば思うほど、うまくできているかという不安とうまくできていないという不満が募っていた。花束をもらったとき肩の荷が降りて、自分も参加者の一人として喜べた。同時に本当はもらっていたのは自分だということに気づいた。みんなの笑顔と「ありがとう」という感謝の気持ち。それこそ柴田さんの一番欲しいものだったのかもしれない。


■「清く・正しく・美しく生きてください!」

最後に、講座にかかわった人たちに何かメッセージはありますか?と聞いてみた。柴田さんからは「清く・正しく・美しく生きてください!」一言、シンプルな言葉が返ってきた。また今年も講座が始まろうとしている。


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[聞き手 浜松翔平 金子きよ子]
# by toudaikaikoku | 2007-02-03 18:44
2005年度受講生 佐藤裕一(通称マイケル)

マイケルは大学院二年生。昨年受講生としてアントレに参加しました。

マイケルの人生を大きく変えたものって何?って聞くと「高校時代、弓道部で部長をしていたことです。」
にっこり笑って教えてくれます。

私から見るとマイケルは、不思議な男の子です。

ガタイが良くて、遠目には怖そう、取っ付き難そう。
なのに、ケータイメールは可愛い絵文字がたくさん使ってあって、大好きな先輩の結婚が決まったことを知らされると涙を流して喜びます。
そんなとき、マイケルはでかい体なのにちっちゃな子犬みたいにみえます。ワンワン。

@(o・ェ・)@ノひつじ('ヮ'*)♪(●´ω`)人(´ω`●)

マイケルはアントレを受講しているとき、決まったリーダーがひっぱっていくのって負担が大きすぎるし、脆いだろうなと思っていました。
「リーダーを決めるなんてめんどくさい」
高校時代、弓道部で部を引っ張っていて、大喧嘩をしてしまったから、誰がリーダーともなく自然発生的に事が進むのが一番良いと思っていました。

だけど、アントレが終わった打ち上げで、半笑いの先生の細い目の奥から、
「誰かじゃなく“お前が”やれ」
といわれているような気がしました。
それで、ビジネスプランコンテストに自分たちのプランを出すことにしました。

だけど、そのときもチームのみんなに温度差があって、マイケルは
「みんな、やるっていったって結局やらないんだ。」
って、がっかりしてしまいました。


ビジネスプランコンテストの打ち上げで、早川さんという1歳年上の社長に会いました。
初対面なのに馴れ馴れしくて、変わった人だったので、面白いからいっしょに活動することにしました。
「うちはこういうビジョンを持ってるんだけど、これからはマイケルもこのビジョンの奴隷ね」
最初に早川さんはこう言いました。

マイケルは、よく解らない表現だけど、社長である早川さんをサポートしろと言っているのかなと思っていました。

早川さんは、毎日のように考えやプランが変わっていきます。
NEET solutionに関するプレゼンを二人でしたときに、早川さんが資料を作りました。
当日見てみると、それまでに話していた内容とプレゼンの内容は、全く違ったものでした。
「何がしたいのか分からないから、何もできん!」
二人でプレゼンをした後に、さすがに苛ついたマイケルは、早川さんに言いました。

早川さんは言いました。
「なにいってんの?お前。
俺が何やるかは俺の自由でしょ?何で俺に従おうとするの?
共有しているビジョンを実現しろとは言ったけど、俺をサポートしろなんて一言も言ってないじゃん。
“お前は”何するの?」

「ビジョンのサーバント(奴隷)たれ。」
この社長は、個々が主体者となって最もビジョンを現実に近づけるような行動をしろと、また、例え上司であってもビジョン以外には拘束され得ない、という信念を持っていました。

「なんで社長に支配されてるの?」なんて言いやがる社長がいるのか。
マイケルは目から鱗でした。
“リーダーが引っ張っていく”とか、“誰がリーダーともなく”ではなくて、“全員が主体者じゃなきゃ失格”。
チームを引っ張る、引っ張らないという、変な呪縛から解放されたような気がしました。

チームでも会社でも、全部そうなのか。
肩書きになんて拘束されちゃいけなくて、ビジョンを共有して、1人1人がそれを実現させるために、主体者として能力を発揮して行かなきゃいけないんだ。
もちろん、1人でやれと言っている訳じゃなくて、それが近道ならば主体者同士として協力しろと。

それ以来マイケルは自由です。

やりたいことを思いきりやれるエンジンを、アントレをきっかけにもらったんだなって。
アントレにたくさんさんたくさんありがとうって言いたい。
マイケルは、またにっこり笑ってそう教えてくれました。

[聞き手 金子きよ子]
# by toudaikaikoku | 2007-01-31 20:11
2006年度ティーチングアシスタント 心拠 想

■仕事を通してより多くの人に喜んでもらいたい

心拠さんは、国家公務員として働いて今年で十八年になる。幼い頃、近所で開業していた、「真心は最新技術を超える」ということを、身をもって実感させてくれた医師に憧れて医師を志すが、当時の医学部に閉塞感を感じ、卒業後の進路として国家公務員を選択した。

医師と国家公務員では随分畑違いなのではないかとの質問に、

「どちらの職種でも、自分が情熱を持って取り組んだ仕事の結果に対して、人が喜んでくれるのがうれしいんです。一対一で患者さんと接する医師より、法律を整備したりすることで、より多くの人に想いが伝わり喜んでもらえるという意味で、今の仕事はやりたいことが叶っていますね。」

心拠さんは言う。

アントレプレナーシップ論との出会いは四年前。特許関係の勉強会で、講座主催者に出会い、意気投合。講師に引っ張られた。

しかし最初から、講座にすんなり入り込めたのではない。初年度、二年目は、TAとしてそれほど深くチームに関与出来なかった。

■本音を言ってくれた

TA三年目で迎えた昨年。チーム1TA全員意気投合、意気込んでいた。チーム1のメンバーもやる気ある良いメンバー。しかし、そのチームマネジメントにてこずった。課題に対してチームで議論しようにも、うんともすんとも発言がない。やっと発言が出てきても、役割分担が出来ない。辛うじて課題そのものは提出できていたものの、受講生一人に負荷が重くなるなど、うまくいかない感は、TAだけでなくチームメンバーも感じていた。

講義も半ばに差し掛かった頃、ベンチャー企業に学生が出向き、社長にプレゼンをする機会があった。他チームは、それぞれに個性的なアイディアを出してくる中、チーム1は、メンバーの一人に負荷をかけた上、誰の目にも凡庸なプレゼンに終わった。

プレゼン終了後、うなだれて帰ったTAにショッキングな出来事が待っていた。講師が行った受講生へのアンケートの中に、チーム1の学生の一人から、チーム1のTAに対して

「聞いていたはずの議論を巻き戻さないで欲しい。簡潔なコメントが、いつの間にか精神論に摩り替わっている。批判をする時は感情的にならないで欲しい。無理に自分のチームを褒めなくてもいい。それより、どんなところが足りないか、具体的な批判をいただけたほうが嬉しい。」

という指摘がなされたのだ。

自分達がチームになんとかうまくいって欲しいと願ってとった行動が、却ってチームの状態を悪くしていた。

「勿論ショックではありました。でも、私にとっては、ネガティブな指摘であっても本音を言ってくれた。それが嬉しかったです。本音で接しくれなければ、どうすればよいか改善策すら見えないでしょ。だけど、本音を言ってくれたから、こちらだって、本気でなんとかしようって思えたんです。本音で接してくれた受講生を愛しいと思いました。」

■理解しあえる仲間がいる

そうは言っても、チーム1のTA四人はショックを受けた。四人でなんとかチーム1を立て直そうと真剣に話し合った。話し合った結果でてきたことを実際に試してみた。結果について、四人で話し合った。相談のメールを打つと、すぐに返事が帰ってきた。自分の悩みを聞いて理解してくれた。一人で問題を抱え込んでいたなら、もっと孤独だっただろう。理解してくれる仲間と、問題解決にあたる幸せ。苦しかったけど、やりがいを感じた。「結果や過程にかかわらず、理解してくれる人がたった一人いるだけで、辛い状況の中にあっても人というものはあんがいがんばれるのですね。」心拠さんは言う。

■少しずつ仲間を増やして行く 

心拠さんは講座が終わった現在、思うことがある。講座で得た気づきを、なかなか実際の職場で生かしきれていないと思うのだ。

「心を開いて人と接しようにも、こればかりは相手あってのもの。相手がいなければ、自分一人で心を開いても空回りになります。本音で接し、本気で理解しあえる仲間を、一人一人職場で増やしていくしかないですね。」

心拠さんの地道な取り組みは続く。

[聞き手 佐藤裕一 寺畑享子 浜松翔平 金子きよ子]
# by toudaikaikoku | 2007-01-30 20:20
2006年度ティーチングアシスタント Y田美加

Y田さんは1976年、兵庫県に生まれる。当時仕事の関係でカナダに在住していた父親が、カナダの自然のように雄大で美しく育って欲しいとの願いを込め、漢字による当て字の加奈陀(カナダ)の加の一文字を取って、美加と名付けられた。

「生まれてすぐにカナダに渡って小学校に上がるまで住んでいたの。だから飛行機での移動はしょっちゅう。飛行機が慣れ親しんだ存在だったから、小学校1年生くらいから自然とスチュワーデスになるもんだと思っていた。不思議なんだけどね。」

小学校1年生から日本に帰国。千葉県で、高校卒業までを過ごす。

■光と影~挫折体験から得たこと

転機は高校で新体操部に入ったことだった。

「憧れだけで気軽に新体操部に入ったのね。そうしたら入った部活は全国でも有名なところで、私以外はみんなスポーツ推薦で来ているようなうまい子たちばかり。すごく厳しい部活で365日練習って感じなの。だから体力的にも技術的にもついていけなかったの。」

しかし、なにより辛かったことは、精神的なことだった。

「練習はみんなと一緒にやるんだけど、レギュラーではないから実質マネージャーとして裏からみんなを支える立場にいたのね。マネージャーは選手達の演技に対して客観的にダメだしをやることも仕事。でも、自分に求められる役割と、私自身の、自分に出来ないことを人に指摘する自分が許せないという葛藤があって辛くてたまらなかった。」

強豪の部。3年間、きらびやかな表彰台に立つ仲間達を常に縁の下から支え続けた。

「チームの一員としてはすごくうれしかったし、みんな感謝してくれてはいたけど、自分がレギュラーとして一度として舞台に立てなかったことは辛かったし悔しかった。だからこそ、その悔しさをバネに、スチュワーデスになろうって強く思ったの。いつか自分が望む舞台ではスポットライトを浴びることができるように努力していこうって。今振り返ると悔しさをバネに畑を耕していた時期だったのかな。」

同時に気づいたこともあった。

「ものすごく辛かったんだけど、人が何かできるってことは、裏でいろんな思いを抱えながら支えてくれている人がいるからこそできるということを、自分が裏を体感したからこそ思い知ったの。一人じゃないってことを。」

同じ部にいながら光と影、影の部分を十分すぎるほど味わった時期でもあった。

■人生を変えた一冊の本との出逢い

高校卒業後、千葉県を離れ、兵庫県の大学に進学。高校時代のもやもやとした葛藤が晴れない中、大学1年生のときに経験した阪神大震災の経験は強烈だった。

そんな折、一冊の本と出逢うことになる。飯田史彦著の「生きがいの創造」。この本との出逢いが人生に対する考え方を大きく変えた。

「特に親しい人が亡くなったとかではなかったんだけど、自分はなんのために生きているんだろうということを、大震災を経験して、より一層悩んでいた時期だったから、本の中に書かれていた、『今この場にいることは必ず何か自分にとって意味があるからこそ経験している。だからこそ、その意味を感じながら自分らしく生きていくことが大切だ。』というメッセージをもらった気がしたの。それからかな。人生、やれるだけやって、楽しもう。やらなきゃ何も変わらない。後悔しない生き方をしよう。そんな風に考え方が変わっていったかな。」

震災後、アルバイトや、YMCAのボランティアに参加するなど積極的に行動するように変化していった。

■ティーチングアシスタントとして

大学卒業後、念願のスチュワーデスになり、夢もかなえた。航空会社に勤務しながらも、仕事を超えて会社の中で自分の力を役立てたいと、社内のボランティアグループに参加。そのグループメンバーから、とある朝食会に誘われた。赤坂ブレックファーストクラブ。そこで、講座主催者に東大で行われている大学院の講座でティーチングアシスタントをやってみないかと誘われることとなる。

「ちょうど、転職を考えたり、いろんなことを勉強したい、ボランティアをやりたいって思っていた時期だったから、なんてラッキーなんだろうって思って、参加したんだ。」

ティーチングアシスタントは2005年と2006年の2年間経験した。国際線国内線問わず、あちこちをフライトで飛び回る日々。一月でわずか10日しか日本にいることができない。当然時差もあるため24時間起きていることはザラ。仕事だけでも体力の限界を感じる中、残された10日を講座やミーティングにすべて注いだ。

「なんであそこまで熱狂的に参加できたのかな。ちょっとおかしいくらいだよね。振り返ってみても、いまだによくわからないんだけど、チームが一丸となって何かに向かっているとき、そのパワーにぞくぞくしたし、興奮した。すごくうれしかったな。優勝しなくても、知り合った人たちとその後も仲良くできたり、いろんなことがあっても、そのプロセス1つ1つがすごくいとおしかったな。」

昨年Y田さんが担当したチームは、チームマネジメントに苦戦したが、最終的には1つの事業計画を纏め上げた。途中、チーム存続が危ぶまれたことすらあった。なぜ、最終的に事業計画を纏め上げることができたのか聞いてみた。

「外部者からは失敗と見えることも、中の当事者しか分からないことがあって、何が幸いするかなんて分からないでしょ。だから私は、世の中失敗なんてあまりなくて、失敗も成功への糧とも思っているんだ。チームTA同士はすごく気があっていたんだけど、チームメンバーは個性豊かで優秀、でもバラっばら(笑)。でも、メンバー同士、失敗から学んで、最後はお互いを認めて、「やるぞ!」という熱い気持ちを共有してやりきったからこそ、生まれるものがあったんだと思っているよ。そして彼らがそういう風に変わっていくプロセスを、信じていられたことが自分を強くしたとも思っているかな。」

■チーム1から教えてもらった私の宝物

講座が終わった今、Y田さんは今後どうしていこうと考えているのだろうか。今後の展望を聞いてみた。

「自分が世の中に役立てられる力、そして自分も熱中できるものって何かなぁ?って、ずっと考えてるの。まだそれがなんなんだか分からないんだけど、自分が生涯これをやったって思えることを探して、実行してやり遂げたいとおもっているの。」

「今思いつくことは、家族のつながりを強くするようなものをつくりたい。例えば女性って、結婚したり出産して奥さんが仕事をやめたりすると、社会とのつながりが急にうすくなっちゃうでしょ。だから、そんなとき、社会と女性をつなぐような、それから、家族同士をつなぐような、そして、いろんな人とのつながりをつくれる何かをしたいと思っているんだけど、でも、それがどういう風にやればいいんだか、まだはっきりとは分からないの。ただ、1ついえることは、『人がなにかできるってことは、必ずどこかで自分を支えてくれている人がいる。』って事かな。でも、いつも誰かが支えてくれるということで甘えるのではなく、何かの組織を動かしたり、人を動かす為には、『一人でもやる。やらなきゃいけない』という大志が必要。でも、『その大志に響き合える、みんなで力を合わせてやる、みんなで作りあげる』事に最終的にはなればいいな~、とは思う。それは、チーム1から教えてもらった私の宝物だよ。」
# by toudaikaikoku | 2007-01-30 19:44